「住まい方」が肝心なんです
便利さ・快適さ・体裁などを追求しすぎて、
家族の団欒やつながりを見失っていませんか!?
「一人一部屋の十分な個室がありそこで何でも用が足りてしまう」
・・・当然それは便利ですよね。
「部屋はあまり広くせず、空間同士の繋がりは避け個室化し空調設備の効率が最優先」
・・・それもいいでしょう。
しかし、個室が快適すぎてそこにこもりきりになり、
家族が顔を合わせるのは食事の時だけ。
子供たちは家に帰ると、親と顔を合わせることもなく個室へ直行する。
親は子供がいつ帰ってきたのかわからない。
家族がどこで何をしているのか気配すら感じない。
このようなことを考えた時、
はたして便利性・快適性・プライバシーはどの程度必要なのでしょうか!?
通常「家」とは、家族が一つ屋根の下で共に生活する場です。
他人が共同生活するわけではありません。(中には例外もありますが)
それならば、多少の物音・話し声・気配・料理のにおいなどが感じられたらどうでしょう。
「あぁ子供が帰ってきたなぁ」とか、「また兄弟喧嘩してるぞぉ」とか。
「今日は子供の様子が変だなぁ」とか、「今日の夕飯はカレーだぁ!」という具合に。
例えば、上下が吹き抜けで繋がっていたり、全体の空間が一つになっていたり
視線が通るような工夫を施すなど、方法はいろいろあるでしょう。
当然その中には、最低限のプライバシーの確保は必要ですが。
日々の繰り返しというものは、
知らぬ間に慣らされてしまうだけにとても影響力が大きいのです。
「家」にも同じことが言えます。
いつも同じ場で生活していると気付かないかも知れませんが、
いつの間にか住み手に多大な影響を与えているのです。
極端に言うならば、性格や人格をも形成し、
ひいては人生にまで影響を及ぼしてしまいます。
周囲の蔓延した情報に惑わされず「自分たちはどう住まうのか?」
「今、自分たちには何が必要なのか?」 ということを
もう一度原点に返り、じっくりと考える時間をとることが必要でしょう。
家に合わせて住まわされるのではなく、住む人がいて家をつくるのですから!
KAZ建築研究室 Column より抜粋
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